阪神・淡路大震災から27年

歳とったなぁ・・・当日からずっと一週間実家と連絡とれなくて(当時はまだ携帯が普及していなかった)、毎日更新される死亡者リストに目を通す日々…。「これはあかん・・とにかく実家に向かわないと」と新幹線に乗ったけど、新大阪より先は線路がやられてて、結局、新大阪下車して神戸まで直線距離40km以上トボトボ歩いて実家に向かいましたわ。いま、あの距離歩けっっって言われたら絶望しますけど汗

道中目の当たりにした光景は、まだ鮮明に覚えてますわ。大阪から神戸に向かう一番の近道は、高速道路がバタンと倒れた下道の国道43号、私と同じように大阪から徒歩で神戸に向かう人が無言で列なして、聞こえる音は足音と遠くのサイレンだけでしたね。途中、ビルがバタバタと倒れてたり、家はそこらじゅうで全壊してて、道が塞がれてたら迂回するしかありませんから、結局50km以上は歩いたのかもしれん。道中、神戸に本部を置く山○組のめっちゃ強面なおっちゃん達が炊き出しをしていて、スルーしていこうとしたら「おいっっっ 兄ちゃんっっ 食ってけ!! 若いのが頑張らんとあかんからなっ 心配すな金はとらんから笑」といって豚汁とかオニギリを振る舞ってくれた。なんや、あるいみ無機質な世界をトボトボ無言であるいてたのもあって、そんな会話を交わして食事をいただいたら、急に涙がとまらなくなって泣きながら食べた。一緒に食べている人達も泣いとった。

あの日を境に一年以上楽器を全く吹けない(吹かない)日々と、自分では気づかん間に強迫性障害を発症したりと、なんや震災の直後はよく覚えとるけど、そのあと一年くらい、なんかずっと大変やったので詳細な記憶が曖昧だったりするんよね汗 まあ、こうやって時間がたって振り返ると、懐かしいと感じてしまうのも人の性なのかな…亡くなった先輩や・友達はいまも思い出すのは27年前の面影のままですが、わしゃなんとかオッサンになりましたわ。

いまコロナ禍で色々と大変だけど、ちょっと震災の頃を思い出しているうちに、なんや「しんどいこともいつか終わる時来るから大丈夫やな」と楽観的になれる瞬間もありますわ。

母校 兵庫高校(長田区)の近所でとった写真 一面の焼け野原になってました
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