今日で阪神大震災から14年になりましたね。
ほんと早いものです。
14年前の朝当時アルバイトしてたんですが、9時にバイト先に入るのに
寝坊してしまって8時30分におきてしまいました。
テレビのスイッチを入れるとどのチャンネルも震災の映像が
流れてました。
なんかすごい事になってる・・・と思いつつ、寝ぼけながらコンタクト入れたら
「神戸市上空・・・死者7人・・」 最初の印象では 結果的にあんな大惨事に
なっていることは予想も出来ず、とりあえずバイト先に「ちょっと実家のほうで
地震が有ったので、今日昼から行きます」と電話しました、ほんとは
寝坊だったんですが・・・。
その電話の後に実家に電話してみましたが不通でした。
しかし何故か楽観的に考えてました。死者7人なら まぁ家族は大丈夫だろう・・。
しかしそのあと2時間もしない間に亡くなった方の数が増え続けました。
実家は神戸市長田区なんですが、上空のヘリ映像で沢山の煙が見えました。
いくら電話しても不通で、まったく繋がりません。その足で神戸に向かう事も
考えましたが、新幹線も不通・・どうすることもできませんでした。
結局TVからの情報だけが便りでしたが、深夜になるとNHKで亡くなられた方の
名簿が毎晩読み上げられました。そのなかに家族の名前が無いことを祈って
朝まで見ている・・という状況でした。
結局一週間ほど連絡もとれず、ようやく新幹線が大阪までは動いたので
大阪から神戸まで40キロほど歩きました。
長い長い人の列が続いて、みんなで歩きました。
例の高速道路が倒れてたところも歩きました、瓦礫の山、
ビルも積み木みたいに倒れてる、家は上から押しつぶされたようにペチャンコ。
潰れた家にはそこに住んでた家族の安否が紙に書かれ、石で押さえられて
ました。まさに映画でしか見たこと無いような状況でした。
歩いている人はだれも無口だった事・町に流れる音楽など有るわけもなく、上空の
ヘリコプターの音とサイレンしか聞こえませんでした。
実家は全壊ではありませんでしたが、家の中はひび割れ、瓦は全て
落ちてしまってました。ライフラインは電気以外は駄目で、給水車が
一日に数回来るのをポリタンクとバケツもって並びました。
お風呂にもはいれませんし、トイレももちろん流れませんでした。
母校の小学校には沢山の方が避難してました運動場は全てテントで
埋め尽くされてました。。
僕もあの後いわいるPTSDのような症状に数年悩まされました、
幼少期にあの体験をした人はいまでもPTSDで苦しんでいると聞きます。
語弊はありますが人生での貴重な体験と今は思えますが、
震災で亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。