ここで書くのもなんやけど・・・。

僕がサックスで仕事をしたい!! と思ったのは18歳になってからでした、
それまでは吹奏楽部で まぁ普通に大学にいって、ぶっちゃけ警察官になりたい!!っと
思っていたんです 笑 まじですからね。。
でも大学受験に失敗して 予備校に通うという前日の夜にオヤジと話をしました。
「どうするんや?」
とオヤジがいいまして、なんでか・・よう分かりませんが 一年の浪人生活が
嫌だったのもあるんですが、ちょっと勢いで
「東京いって 音楽やる」
といった訳です。 自分の中では 普通の親なら反対するやろー・・と思って それも
多少期待してたんですが オヤジは
「わかった」
内心びっくりしました。。。ちょっと と・・・とめろよー・・・・とも思ったように思います。
でも引っ込みがつかなくなって 結局一年後に上京する感じになりました。
とりあえず訳もわからず某専門学校にはいったわけです。
学費は自分で・・とこれも勢いで新聞奨学生っていうやつを選んで、なんとか
2年間通いました。しかしあの新聞配達時代はキツカッタですわ。。。。
卒業する頃はまだ仕事も殆どなくて、バイトが中心でした。
バイトはパチンコ屋さんでしたね。最終的に同じお店で6年間バイトしてました。
店長には沢山無理を聞いてもらって、音楽の仕事を優先させていただいて
ほんと助かりました。
この頃には多少メジャーの仕事も頂いてたので、パチンコ店の有線から
自分がレコーディングさせてもらった曲が流れることもありました、なんか
複雑な心境だったのを覚えています。
練習場所は当時川崎の元住吉にすんでたので、慶応大学の日吉校舎
食堂塔に潜入して練習してました、よる21時までは吹けたのでバイト終わって
そのまま練習行って って毎日でしたね。当時の現役慶応ジャズ研の人とも
しらずしらずのうちに友達になって、よくセッションに参加させてもらいました。
その間神戸の実家が震災に見舞われたり 色々な事がありましたね。
30近くになったころはなんとか音楽で食べれるようになってましたが オヤジは
「いつまでも ラッパ吹いててもあかんのんちゃうんかー?」といってましたね。
どっかのCMじゃないけど 「ラッパじゃねーーーよーーー」でしたけど。w
その後はじめてオヤジがなんとか認めてくれたのは、某番組レギュラーで
毎週見てくれるようになってからでした。上京してはや14年たってましたね。
あんましもの言わぬオヤジでしたから、直接聞いたわけではないのですが、
オカンから毎週ビデオに録画して何回も見てるって聞いて嬉しかったのを
覚えています。
実は今年1/2に突然倒れて、そのまま亡くなりました。
もうすぐ1周忌を迎える訳なんですが 最後までオヤジに
ありがとう を言えないままでした。
ほんま いまさらだけど

ありがとう。

サックス教室 フイテマス 藤本匡光

 

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