阪神・淡路大震災から25年

もう25年ですか・・・
神戸に連絡も取れず、戻るに戻れなかった数日間、ずっとNHKの青画面にながれる死亡者名簿・・嫌な思い出です。
10日くらい経ってからだったか、ようやく東京から新大阪まで新幹線で向かえた。新大阪から40km徒歩で神戸まで帰りました。同じような人たちがずっと長い長い列となり、淀川を超えたあたりからは、かつて国道43号線だったであろう道を、瓦礫のなか何時間も歩きました。 尼崎 ~西宮~神戸・・と街の惨状は壮絶でした。いまでも、その、ぐしゃぐしゃになった光景と、街に充満した焦げ臭いニオイ、瓦礫と化した家の前に並んでいた安否確認のメモ用紙・・・。空を飛び交うヘリコプターの音・・忘れられません。

大阪から神戸まで徒歩で戻る途中に撮影
そこらじゅうの大きなビルが倒れてた。倒れていなくても2階3階辺りが潰されているビルが多かった

阪神大震災では6434人の方が亡くなりました。しかし、6434名以外にも、PTSDで震災後数年してから自ら命を断ってしまった知り合いや、避難所生活中に体調をくずし、そのまま亡くなった知人のお母さま・・。その人たちは6434人に含まれていないことも、記しておきます。

発生時刻で止まってた実家の時計
母校(兵庫高校)の近所(長田区) 焼け野原でした
アーケードだけ残った菅原商店街
実家の正面の山が崩れた お好み焼き屋のおばちゃん・年配のHさん夫婦・・数名が亡くなった
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