某ライブに足を運んだ時に2人の若いサックス奏者が演奏してました、
後で聞くと二人とも22歳だということで んーーーうらやましい 笑
二人ともアルトでプロを目指してるということで、流石にいい演奏してました。
ライブが終わってから、二人を共通の知り合いが紹介してくれてすこし話をしました
「私達 どうでしたかね?」
と質問をうけました。こんなときに「いやー よかったよーー」って単に返答するのは
逆に失礼なような気もするわけです。とくに二人はプロを目指しているということだったので
率直に意見をいうことにしました。
二人の演奏は対照的で、仮にA君 と B君 とすると
A君はちょっと小難しいフレーズを並べて吹くタイプ。
B君はパワータイプの奏者で細かいフレーズは無いものの熱い演奏。
だったわけです。ただ正直ライブ中に私も「何かがたりない・・・」と思いながら
みてました。 別に二人に限ったわけではなくて、もしかして自分も客観的に見られた時に
この「何か・・」が足りてないのかもしれない・・・と思い、60分近くその「何か」を考えてました。
素晴らしいと思えるミュージシャンには この 「何か」が音楽に充満していて
聞いていて心地よいわけです。それはテクニックとかそういうものでもなく、もっと
潜在的な「何か」という気がします。
潜在的 とはいっても 潜在したままでは表現することはできないような気がします。
潜在的にもっている資質を後天的な努力と理解で表現に結びつける能力を培うような
気がします。
ではその「何か」はなんなんでしょうかね。。。
私も具体的には書くことが 現段階ではできません。。。
20代には見えなかったことでもあるので、いまようやくその存在に気づいたくらいの
感じです。結局偉大な諸先輩のミュージシャンから学ぶ事はフレーズ・テクニックは
もちろんですが、いきつくところ この「何か」を自分で見つけるためのステップであって
楽器自体もその表現のツールということになるのかもしれません。
ツールを扱うテクニックがずば抜けてても、それだけでは創造はできない。
しかし しっかりツールを扱えないと、思い通りの作品もできない。
ツールを扱えることは必要条件だけど、結局「何か」を加味しないと音楽にはならない。
私自身「何か」の存在を身近に感じられる瞬間がライブ中などにたまに有る。
周りの音の流れの中に曇りのまったくないラインが見える瞬間というか。。。
ただこればずっと続くわけでもなく、ある瞬間顔をだしては 消える。
まったく出ないときもある。
そのときにはフレーズやら そんな計算できるもんじゃない気がする。
少なからずテクニカルなフレーズを吹くときは 計算 が入っているから、
わりと冷静だったりするわけで。
ほんまなんなんやろね。。。
若い2人と こんな訳の分からん会話をして 妙に楽しかったわけですわ。
「何か」をこれからも探さなければならないね。。